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2020.08.03

広松由希子のこの一冊 ―絵本・2020年代― 連載第1回『つかまえた』田島征三



第1回 「体で読む」
田島征三『つかまえた』
偕成社)


 2020年夏、気になる新刊絵本が続々届き、ナンダコレハとうろたえております。「MOE」本誌での長年の連載を卒業させていただき、数カ月お休みをいただいていましたが、ひさしぶりに心ゆくまで新刊絵本を勝手読みしたくなってしまいました。

 まずは届いたばかりのこれから……ゆっくりイントロを味わい、呼吸を深くします。一葉、二葉、めくったところで、息が止まり、胸をぎゅっとつかまれました。
 

 

 背からソデへ、はみ出す題字と伸びる腕。左上から右斜め下への勢いに引き込まれ、表紙を開きます。激しくも清涼な見返しの水で目を洗い、すっと息継ぎをして、扉へ向かいます。ここは物語の舞台、川の浅瀬に大きな魚がいるところです。
 第1場面、岸の向こう(右手)から網とバケツを持ってやってくる少年と出会います。次の第2場面では、方向転換した少年とともに、右手に泳いでいく魚を「そうっと そうっと」息をひそめて追ってゆきます。

 あっ。足がすべって、水の中へ。帽子も網も飛んでしまった。ダイナミックな余白。時間の止まる瞬間。そして、激しい水しぶき。もがく四肢の指先に、魚が触れます。そこからは、もう夢中。逃げる魚を体に感じ、素手で追う興奮。「にがすもんか にがすもんか」。青い水に浸かった白シャツと、濡れた緑の半ズボンに緑の魚、4つの青い目玉。全部がつながって、ひとつの画面です。ヌルヌルとすべる肌。握る手に、グリグリと暴れる命の感触。
 

 

 読んでいると、てのひらが汗ばみ、足の裏もじんじんしてきます。おなかの奥のほうから記憶が蘇ります(わたしもこのグリグリを知っている)。
 ついに魚をつかまえた少年は、「ぼくが つかまえた ぼくの 魚だ」(ここで初めて「ぼく」という一人称主語が出てきます。しかも2回)とバケツに魚を入れ、樹下でうっとり横になり、「魚を だいて 魚に だかれる ゆめ」を見ます。シャガールのように空に浮遊する、水色と肌色とピンクの一体感。ほてる体に抜ける夏風。なんという悦楽。
 

 

 ところが、ここからがまた一波乱。少年のうたたねの間に、魚はバケツから飛び出てしまったんですね。「しんじゃだめだ! しんじゃだめだ!」「いきかえれ!」
 生死をさまよう魚と、それを抱えて走る少年の必死。11、12見開きの息つく間のないテンポから13、14見開きのせつないフェイドアウト……と見せかけておいて、ラストの粋よ。最後の最後まで……すごい。

 作者の原体験から生まれた絵本。でも、ノスタルジーとは対極。ドクドクと脈打つ、80歳の作者が10歳の読者と共に生きる2020年夏の絵本です。
 魚も「ぼく」も、60年絵本を描き続けてきた作者も、体当たりの命がけ。乱暴に見える泥絵具は、きっと何十枚、何百枚と描き抜かれた末の、ここしかない構図と筆致だから、視線と呼吸を導き、体を内から疼かせるのでしょう。かすれや飛沫や余白にも、水や空気や感情がほとばしります。うーん、こんな絵本があるのかとうなりつつ、いや、うんうん、これぞ絵本だとうなずく幸せ。

 今年国際アンデルセン賞画家賞の最終候補となった田島征三さんの、新たな代表作です。生命ってこんなにも、強く激しくいとしくセクシーでユーモラス。絵本ってこんなにも官能的。
 体に生命力を呼び覚ましたい夏、実感が衰弱する今、世界に届いてほしい絵本です。

・・・・・

 1920年代は、日本でも欧米でも子どもの本の黄金時代と言われていますが、もしや2020年代は新たな絵本の黄金時代になるのでは……と思うと、ちょっとワクワクしてきませんか。新しい狂騒の20年代の絵本たちについて、時に古びない古典絵本などもあわせ読みしながら綴る、きまぐれ絵本雑記に今後ともよろしくおつきあいください。
 



田島征三 たしませいぞう/1940年大阪府生まれ。幼少期を高知県で過ごす。多摩美術大学図案科卒業。1998年伊豆へ移住。2009年、新潟県十日町の旧小学校校舎をまるごと空間絵本にした「鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館」を開館。1969年のブラチスラバ世界絵本原画展(BIB)金のりんご賞受賞を皮切りに、講談社出版文化賞絵本賞、小学館絵画賞、絵本にっぽん賞、日本絵本賞など受賞多数。2020年国際アンデルセン賞ショートリストに選ばれた。

 

広松由希子 ひろまつゆきこ/絵本の文、評論、展示、講座や絵本コンペ審査員などで活躍中。2017年ブラチスラバ世界絵本原画展(BIB)国際審査員長。著作に絵本『おかえりたまご』(アリス館)、「いまむかしえほん」シリーズ(全11冊 岩崎書店)、訳書に『ローラとつくる あなたのせかい』(BL出版)、『ヒキガエルがいく』(岩波書店)、『うるさく、しずかに、ひそひそと』(河出書房新社)など。2020年8月3日より、絵本の読めるおそうざい屋「83gocco(ハチサンゴッコ)」を東京・市ヶ谷にオープン。www.83gocco.tokyo



東京都新宿区市ヶ谷に「えほんとごはん」のお店ができました。団地の一室をリノベーションしたささやかなスペースですが、和洋中さまざま、日替わりのおそうざいと、セレクトされた国内外の絵本をお楽しみいただけます。世界各国の絵本関連展示のほか、子ども向けの文庫、大人向けの絵本イベントなどもぼちぼち開催していきます。 最寄り駅は大江戸線牛込柳町。神楽坂、市ヶ谷、曙橋も徒歩圏内。お散歩がてらお気軽にお立ち寄りください。

えほんとごはん 83gocco
東京都新宿区市谷加賀町2-6-1 市ヶ谷加賀町アパートA-102  営業時間/11時〜19時 定休日/日・月 

 
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