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2021.10.19

広松由希子のこの一冊 ―絵本・2020年代― 連載第10回 アヤ井アキコ/作『くまが うえに のぼったら』



第10回 ギャップと跳躍
アヤ井アキコ/作『くまが うえに のぼったら』
(ブロンズ新社 2021年8月刊)



 (あっ、いいな)と、ひと目で好きになってしまう表紙。古きよき東欧やロシア絵本の雰囲気だ。ところが、これは現代の日本の作家の絵本だった。しかも(えっ、アヤ井アキコって、あのアヤ井さんだよね?)と驚かされた。

 アヤ井さんといえば、2019年に日本絵本賞大賞を受賞した『もぐらはすごい』(川田伸一郎/監修 アリス館 2018)の絵本作家。みごとなノンフィクション絵本だった。『くまが うえに のぼったら』は、アヤ井さんの初めての創作物語絵本だけれど、それにしても印象のギャップがすごい……と、ひさしぶりに『もぐらはすごい』を読み返してみた。

 『もぐら〜』は、スタンダードな物語絵本と同じ15場面。身近な視点の導入から引き込み、興味をかきたて、コマ割りなど変化に富んだ展開を織り交ぜながら、わかりやすくユーモラスにモグラの生態を解き明かしていく。

 ……ああ。ジャンルは全くちがうけれど、リアルとデザインのバランス、素朴なユーモアを含んだ誠実な絵のありようや場面の展開など、地下の水脈かモグラ道のように、両作品には通底するものがしっかりあるんだな。自分の目の節穴っぷり、いい加減な記憶力を反省した。

 ところが『くまが〜』の表紙をめくり、物語に入り込んでいくと、また新たなギャップにびっくりした。
 

 

 物語のモチーフが模様になった、とびきりのラッピングペーパーのような見返しをくぐると、安らかな寝顔の扉が現れる。
「よる。こどもたちが もうねているころ。」
さりげない導入だけれど、この絵本の最終ページまでを囲むフレームが肝心。これは、読者である子どもたちが寝ている間の、(みんな知らないだろうけど、あるかもしれない)物語なのだ。

 第1見開きは、思い切り遠景から始まる。画面左下に昇り始めた月から、山のてっぺんの松の木に視線が導かれる。よほど背の高い木とわかる。
「あむ あむ おいしい。 もっと たべたいな」
 松の木に絡まった山ぶどうの実を、せっせと食べながら登るくまの姿に目が集中する。めくると、いかにも食いしん坊なくまのアップが目に飛び込んできた。続く第3見開きは、これ。
 

 

 枝が折れては困る松の木がくまにていねいにお願いをしているのに、がっつくくまは山ぶどうに夢中で耳を貸さない。ずんずん登るくまと、左右に大きくしなる松の木に、ハラハラ。この後の激しい展開の説得力につながる。

 ついに我慢できなくなった松の木が、叫びを上げて、ばねのようにくまを跳ね上げる。
「びよーん」

 この「びよーん」を合図に、読者の予想を超えた跳躍、飛躍。穏やかなアヤ井さんの絵から、まさかこんな展開が生まれようとは。文字通り天地を巻き添えに、上を下への大騒ぎ。しかし「ずぼ!」にしても「どんぶ どんぶ」にしても、のどかな平仮名によるてんやわんやは、びっくりしつつも、朗らかにゆかい。そして、
「がば!」
 

   

 と、くまにしがみつかれてしまった星は、あまりの重さに流れてしまう。なんたる迷惑千万なくま。だが表情は一貫してあどけなく、悪気も反省も微塵もない。そうでなくっちゃ。くまだもの。

 あたたかくリアルな絵からの、大胆な展開のギャップ。しかし、このあっけらかんと突き抜けた物語をひたすらゆかいに描き切るために、しなやかな配慮が描写や構図に行き渡っている。

 この絵本のタネが芽生えたのは、『もぐらはすごい』の出版よりずっと昔の9年前。版元のブロンズ新社のブログに、生き生きしたメモが公開されていた。思いつきと勢いでなく、たっぷりと時間をかけてあたためられたアイディアなのだ。それをまた、ここまで生き生きと練り上げ、描き上げたのだ。元々は動物園で、カナダヤマアラシが木の上で寝ていたところから思いついたというのも面白い。
https://staffroom.hatenablog.com/entry/2021/08/26/100000
 

 

 最初に第一印象で「東欧やロシア」と大雑把に書いたのだけれど、ページを繰り返しめくっているうちに、記憶の底に眠っていた絵本たちがふつふつと浮かんできた。たとえば……参考までに2冊書き留めておこう。

 ひとつは、『しずかなおはなし』(サムイル・マルシャーク/作 ウラジミル・レーベデフ/絵 うちだりさこ/訳 福音館書店)。1963年に邦訳された古典絵本だ。クマでもヤマアラシでもなく主人公はハリネズミだけど、レーベデフの青と墨の色調が絵本をしっとり覆った真夜中の森を描いたお話。

 もうひとつは、『ロシアのわらべうた』(K. チュコフスキー/編 Y. バスネツォフ/絵 田中潔/訳 偕成社)。邦訳は2009年だけれど、原書は1958年刊。チュコフスキーが集めた22編のわらべうたのなかで、特に印象的な「うそっこばなし」は、こんな詩。

「クマが空を とんでいく
しっぽをクルクル させながら
ブタがモミの 木の上に
りっぱなブタの巣 こしらえた……(後略)」
 バスネツォフの空飛ぶクマの絵がたまらない。

 北海道出身のアヤ井さんの原風景、クマや木、山や湖、動物たちが、ロシアの画家の絵本と通じ合うのは、すごく納得できる。北海道で幼少期を過ごした児童文学作家・神沢利子さんのクマや鹿、動物たちへの親近感にも重なるものを感じる。そういえば、神沢さん作の『鹿よ おれの兄弟よ』(G・D・パヴリーシン/絵 福音館書店 2004)は、テイストはぐっとシリアスだが、ロシアの現代画家と組んだ絵本だった。

・・・・・

 古典に匹敵するようなあたたかな写実と、イマジネーションの跳躍。ユーモアに包まれたメッセージの芯。
「同じ地球に生きる別の生きものとして、それぞれの命を生きているんですよね」と語る「MOE」2021年11月号の記事「注目の作家インタビュー アヤ井アキコ」も、ぜひあわせて読んでほしい。
 

 
 

アヤ井アキコ/1967年北海道生まれ。一橋大学社会学部卒業(社会人類学専攻)。印刷会社勤務を経て、美学校シルクスクリーン工房で学び、絵本創作をはじめる。『もぐらはすごい』(川田伸一郎/監修 アリス館)で第24回日本絵本賞大賞を受賞。絵を担当した絵本に『ろばくんととらねこ ふたりでかいもの』(やえがしなおこ/作 フレーベル館 キンダーおはなしえほん)、『なんでもモッテルさん』(竹下文子/文 あかね書房)、『とりになりたかった こぐまのはなし』(アデール・ド・レェーエフ/作 中島幸/訳 福音館書店 こどものとも)などがある。
ウェブサイト ayaiakiko.com Twitter @goodmouser 
 




 

広松由希子(ひろまつゆきこ)/絵本の文、評論、展示、講座や絵本コンペ審査員などで活躍中。2017年ブラチスラバ世界絵本原画展(BIB)国際審査員長。著作に絵本『おかえりたまご』(アリス館)、「いまむかしえほん」シリーズ(全11冊 岩崎書店)、訳書に『ローラとつくる あなたのせかい』(BL出版)、『ヒキガエルがいく』(岩波書店)、『うるさく、しずかに、ひそひそと』(河出書房新社)など。2020年8月3日より、絵本の読めるおそうざい屋「83gocco(ハチサンゴッコ)」を東京・市ヶ谷にオープン。www.83gocco.tokyo



東京都新宿区市ヶ谷に「えほんとごはん」のお店ができました。団地の一室をリノベーションしたささやかなスペースですが、和洋中さまざま、日替わりのおそうざいと、セレクトされた国内外の絵本をお楽しみいただけます。世界各国の絵本関連展示のほか、子ども向けの文庫、大人向けの絵本イベントなどもぼちぼち開催していきます。 最寄り駅は大江戸線牛込柳町。神楽坂、市ヶ谷、曙橋も徒歩圏内。お散歩がてらお気軽にお立ち寄りください。

えほんとごはん 83gocco
東京都新宿区市谷加賀町2-6-1 市ヶ谷加賀町アパートA-102  営業時間/11時〜19時 定休日/日・月 

 
   
「83gocco(ハチサンゴッコ)」店内 撮影/志田三穂子

 
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