絵本のある暮らし 月刊MOE 毎月3日発売

Web連載 Web連載

2022.02.09

広松由希子のこの一冊 ―絵本・2020年代― 連載第11回 ワイエダ兄弟/語り・絵 クシダオサム/訳『みなそこ』



第11回 タラより出でて
ワイエダ兄弟/語り・絵 クシダオサム/訳『みなそこ』
(良品計画 2021年12月刊)



 年初に、新しい絵本体験。目も身も心も水浴びしたような気持ちになりました。MUJI BOOKSから出た『みなそこ』です。
 

みなそこ
 

 水面を思わせるマーブル模様のジャケットに、小さな水生生物や泡が白インキでぷちぷちと漂います。このざらっとあたたかな手触りは……そう。2017-18年の巡回展「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」を契機に、日本でも一気に知名度を上げたTARA BOOKS/ タラブックスの手製本です。

 再生コットンの手漉きの紙を染め、印刷はシルクスクリーン。糊を使わずに綴じられた、ハンドメイドの絵本。他言語への翻訳出版でも、印刷や製本はタラが請け負い、インドの職人たちの手でおこないます。見過ごされていた民俗画に注目し、自分たちが納得できるていねいな造本で、紙の本の美しさを現代に再認識させた、独自の手法の共同出版(コープロ/ coproduction)で、タラの絵本は世界中に広がりました。

 日本でもタムラ堂の『夜の木』(2012/ 原書は2006)を皮切りに、複数の会社から邦訳が出版されてきましたが、今回の『みなそこ』は、タラのコープロの原則を踏まえながら、今までの翻訳絵本とは、ひと目でちがいました。

 縦書きの控えめな題字、本の特殊なフォーマット。そして本文……ああ、これは、英語の原書ではありえない。タラの絵本を愛する日本人が、日本の読者に届けるために編み直したタラの本なのだとわかりました。そして未見の原書『the deep』(2020)を取り寄せて、すぐにも並べて見たいという衝動に駆られました。

 

 

 手にした原書『the deep』は、予想以上に別物でした。

 横長の縦開きの本体を二つ折りにし、通常の左開きのハードカバーに上部を綴じつけた(言葉で説明してもわかりにくい)独創的な造本。つまり表紙を横に開いてから、縦に、縦にめくるわけです。タラの絵本が世界中に輸送されること、本棚に他の本といっしょに並べられることなどを思うと、納得のアイデアです。スムーズに開かれて閉じられるための切り込みなどを含め、試行錯誤の末に行き着いた形態とうかがえます。

 日本語版の本体は、原書よりひと回り小さいのですが、横長縦開きの形をまるごと生かし、一冊ずつ異なるマーブル模様に染められた厚手の紙のジャケット(カバー)にくるまれています。上に開くと、カバーソデにあたる部分に縦書きで短いイントロが。「これは/少数先住民族がくらす/西インドの小さな村で育った/兄弟の物語。」と。

 この本は、作者のワイエダ兄弟(1987年と1992年生まれ)が、故郷のガンジャード村から出発し、高層ビルと喧騒の都会ムンバイを経て、日本の粟島へと旅する自伝的な絵物語なのでした。
 

 

 原書では、兄弟の語りをもとに、タラブックスのアルン・ウォルフとギータ・ウォルフが英語のテキストを書き起こしています。散文で、それなりのボリュームの横書きのテキストが、大きな見開き5場面の余白にレイアウトされています。絵を眺めながら、故郷を離れて自分たちの文化を見つめ直し、赤い土壁に白い絵の具で絵を描くワルリ画という民俗画の伝統を受けとめ、新世代のワルリ画家として成長していく様子が汲み取れます。

 ところが日本語版では、まず絵だけの見開きが現れます。めくると、次の見開きに章扉と縦書きのテキストが配されています。巻末の解説によると、伝統的なワルリアートに立ちかえり、絵と物語を別々に仕立てる方法に思い至ったそうですが、私は詞書と絵が交互に繰り返される、日本の絵巻を思い起こしていました。

 見開きいっぱいの絵を心ゆくまで味わい、ディテールが面白いワルリ画の隅々に入り込んで視線をたっぷり遊ばせた後で、すっと文を読む。この日本語が、英語の原文とはとても印象がちがうんです。意訳という言葉にはおさまりません。
 

   

 短い改行で24行ずつ。大人向けの現代口語ですが、句読点はなく、漢字交じりの分かち書き。万葉の長歌を読んでいるような心地になりました。ワイエダ兄弟にも直接話を聞いて書かれたというテキストは、日本人読者に伝わりやすいように部分的に補足説明しつつ、大和言葉が豊かに用いられ、やわらかく詩的で象徴的です。

 上から下へ、視線を縦方向に促す縦組みと、縦開きとの相乗効果。静かに息を吐きながら、めくって、めくって、下へ、下へ、水底へと潜っていく。力を抜いて、からだを水にまかせながら、白いあぶくのようなことばに包まれるみたい。

 水の底へ、自分の内奥へ、深く深く。

 そうして、「ガンジャード」「ムンバイ」「粟島」と旅を続けた兄弟とともに読者がたどり着くのは、「地球の底」。最終場面に息をのみます。
 

 

 インドのガンジャードの川の生命と、日本の粟島の海の生命が共存する絵。

 原書の共作者であり、タラの創立者で編集者のギータ・ウォルフが、この絵とコンセプトに惚れ込んで、絵本の出版を決めたといいます。「その一枚の絵に、文脈を接ぎ木していくように、旅の手帖をひも解き、物語をつむぎ出しました」と、あとがきに書かれています。

 どんなに遠い国でも水の底、地球の底では、つながっているのだと。2020年にインドで生まれたこの絵本が、2021年の暮れに日本で出たことも、このコロナ禍の地球を想うとき、意味があったと感じます。

・・・・・

 絵本の翻訳出版は、難しいことがいろいろあります。原書にあったオーラが、邦訳版では(あれ?)と消えているように思うことも少なくありません。異なる国と異なる文化。互いを理解し、重んじながら、伝わるように翻せたらいいなぁ……と日々の反省を込めながら思っています。

 形は違っても底流でつながっている絵本。目と指で触って、体と心で感じるタラブックスの絵本の新しい翻訳出版。翻訳絵本のあり方にも、大きな示唆を含んでいる気がしました。

 



ワイエダ兄弟(Mayur Vayeda/1992年生まれ、Tushar Vayeda/1987年生まれ)/インド・マハーラーシュトラ州に暮らす少数先住民族ワルリ族の村、緑豊かなガンジャード村生まれ。2人ともムンバイ大学へ進学し、Mayurはマーケティング、Tusharは3Dアニメーションを専攻した後、故郷に戻り芸術活動を行う。
ウェブサイト  http://www.vayeda.in/ Facebook  www.facebook.com/mayurtusharvayeda Instagram  @vayeda_brothers
 


 

広松由希子(ひろまつゆきこ)/絵本の文、評論、展示、講座や絵本コンペ審査員などで活躍中。2017年ブラチスラバ世界絵本原画展(BIB)国際審査員長。著作に絵本『おかえりたまご』(アリス館)、「いまむかしえほん」シリーズ(全11冊 岩崎書店)、『日本の絵本 100年100人100冊』(玉川大学出版部)、訳書に『ローラとつくる あなたのせかい』(BL出版)、『ヒキガエルがいく』(岩波書店)、『うるさく、しずかに、ひそひそと』(河出書房新社)など。MOE2022年1月号より「日本の絵本 100年100人100冊」を連載中。2020年、絵本の読めるおそうざい屋「83gocco(ハチサンゴッコ)」を東京・市ヶ谷にオープン。www.83gocco.tokyo



東京都新宿区市ヶ谷に「えほんとごはん」のお店ができました。団地の一室をリノベーションしたささやかなスペースですが、和洋中さまざま、日替わりのおそうざいと、セレクトされた国内外の絵本をお楽しみいただけます。世界各国の絵本関連展示のほか、子ども向けの文庫、大人向けの絵本イベントなどもぼちぼち開催していきます。 最寄り駅は大江戸線牛込柳町。神楽坂、市ヶ谷、曙橋も徒歩圏内。お散歩がてらお気軽にお立ち寄りください。*今はテイクアウトのみで営業中です。

えほんとごはん 83gocco
東京都新宿区市谷加賀町2-6-1 市ヶ谷加賀町アパートA-102  営業時間/11時〜19時 定休日/日・月・最終土曜

 
   
「83gocco(ハチサンゴッコ)」店内 撮影/志田三穂子

 
ページトップへもどる