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2021.08.31

広松由希子のこの一冊 ―絵本・2020年代― 連載第9回 ジョーダン・スコット/文 シドニー・スミス/絵 原田勝/訳『ぼくは川のように話す』



第9回 見ることば
ジョーダン・スコット/文 シドニー・スミス/絵 原田勝/訳『ぼくは川のように話す』
(偕成社 2021年7月刊)



 「川のように」と言えば、流れるように、流暢に、という意味で使われるのがふつうだと思う。でも、この絵本の「川」は、ちがう。吃音のある詩人を、少年の日に救ったのが「川」ということばであり、その情景だった。

 そうした背景を知るのは、ずっとページをめくった後のこと。まずは表紙。穏やかな少年の表情と流れる川の飛沫、そして「ぼくは川のように話す」という、けっして流麗ではない味のある文字に見入る。絵本好きなら、気づく人も多いだろう。そう、荒井良二さんの描き文字だ。

 最初の見開きでいきなり、心臓がドクンと大きく鳴った。ふぅぅ。深く息をついて、ゆっくりページをめくる。ドクン。ドクン。うわ、ダメだ。見開きごとにやられる。血圧ヤバ……
 

 

 
 カナダの絵本作家、シドニー・スミスは、いま世界でもっとも気になる絵本作家のひとりだ。といっても、彼がイラストレーションを手がけた絵本(すでに15冊くらいあるらしい)のうち、私が見ているのは、2015年のサイレントブック『おはなをあげる』(ポプラ社/2016)以降。その後『うみべのまちで』(BL出版)や『スムート かたやぶりな かげの おはなし』(同)など翻訳本が届くたびにうまい作家だなぁと眺めていたけれども、本気で度肝を抜かれたのは、2019年の唯一の自作絵本『Small in the City』(2021年に評論社より『この まちの どこかに』として出版)を原書で見たときだった。これは……「うまい」なんてもんじゃない。

 どこかもてあましている感のあった技巧を挑戦的に駆使し、場面ごとにみごとな効果をあげていた。自由で多様な場面割りは、グラフィックノベルかシネポエムのように、雪の街トロントの移ろう情景と心象を浮かび上がらせていた。新しい絵本の世界を拓いていく作家と、遅ればせながら確信した。そして次が、この『ぼくは川のように話す』への跳躍だ。

 「朝、」 「目をさますといつも、」 「ぼくのまわりは」 「ことばの音だらけ。」 テキストを間に挟んで、場面が6分割された第1見開きから始まる。視界に映る部屋の景色の断片から、主人公「ぼく」の目へとフォーカスされる。コミックのコマ割りや映画のカメラワークにも通じるけれど、この見開きの意識は、ずば抜けて絵本ではないか。

 「ぼくには、うまくいえない音がある」という少年の、外に出せず内にこもった心の声をたどりながら場面が展開する。詩的な独白のテキストと絶妙な距離感で、「声」がビジュアル化されていく。少年の目と、その目に映る画像が、心のフィルターを通してかわるがわる現れては、姿を変える。

 第2見開きでは部屋の中から、窓辺に立つ少年の背中越しに、「いえない音」を頭文字にもつ「松の木」と「カラス」と朝の「月」が見える。続く第3見開きでは、また少年の目になって、窓にぐっと寄り、
 

 

 外をみつめる「ぼく」の顔がガラスに映り込み、忌まわしい音のイメージに重なる。

 教室の見開きでは、後ろの席でちぢこまって、あてられないように念じていたのに、先生に指された瞬間、右ページでは情景が歪み、にじみ、黒ずみ、まともに見えなくなる。

 次の場面では対照的に、みんなの目に晒されているぼくは、異様にくっきり強い筆致で「みんなには見えない」姿で描かれる。この場面の構図は、先述の第3見開き(上図)と対になっている。見えない姿だからこそ、切実な実在感。

 めくるごとに内から外から、心情的な視界が描かれ、胸を揺さぶられ、のどを圧迫されるようだ。
「ぼくの口はうごかない。朝から、いろんなことばが つっかえたままだから。」

 ぼかし、にじませ、歪ませ、汚し、引っ掻き、消え入りそうにも描かれた「ぼく」の辛くて長い学校時間が終わり、放課後、お父さんが車で迎えにくる。
「うまくしゃべれない日もあるさ。どこかしずかなところへいこう」
助手席に乗り、お父さんとは目を合わせないまま、着いたところが川だった。そこまでのざわざわした画面から一転して、
 

   

 ほっと息をつく、静的な場面。風景よりも人物を描くのが好きで、得意だという画家だが、まともに描く風景だってとんでもなくうまい。

 ふたりきりで、だまって、並んで歩く。人の視線や音から解放されて、「ぼく」の心が少し軽くなるが、ほどなく胸のなかに、ふつふつと生々しい記憶が蘇る。教室でうまくしゃべれなかったこと。みんなの目、ぼくのくちびる、みんなの口、笑い声。

 また胸いっぱいに黒い雲が渦巻いてきたとき、お父さんに肩を抱き寄せられ、言われる。
「ほら、川の水を見てみろ。あれが、おまえの話し方だ」と。
「見てみろ」と言われて、初めて顔を上げて見るのだ。川そのものを。
 

 

 第13見開きは、第1見開きと対になる構図をとっている。左上、最初の目は、第1見開きとちがって、まっすぐ曇りなく、正面を見ている。そして右下、最後の目は、閉じている。表紙以来、初めて目を閉じたシーンだ。ここまでずっと目は見開かれていて、口は描かれないか、つむったままだった。ここで、一転するのだ。目を閉じることによって、初めて光が差してきて、見えてくる光景がある。腑に落ちて、生きてくることばがある。

 これを受け、次のアップの「ぼく」の顔と、圧巻の観音開きがあるのだが、ここはぜひ実物の絵本でめくり、横長の画面をいっぱいに開いて、体験してもらいたい。水と光。筆の早い画家が、ほとんど完成作のような絵を10枚以上描き直して、フィニッシュさせたクライマックスシーンだ。

「川」ということばと目の前の光景が重なって、あふれるイメージとなり、圧倒的な説得力をもって、自分の中に流れ込んでくる。そんな物語の核となる体験そのものを、読者もこの絵本を通して体感してしまう。絵本でこんなことができるなんて。いや、絵本だからできることなのか。おそるべし、シドニー・スミス!

・・・・・
 

 水に放たれた魚のように、生き生きと、自由に、絵本の海を泳いでいく人。次々繰り出す絵の技は、惜しげもなくネットで披露していて、YouTubeなどで見ることができる。
 

 

 絵のことばかり書いてきたが、この絵本はテーマに芯があり、詩的なテキストも胸をうつ。原田勝さんの日本語訳が染み込んでくる。内容からして難しい翻訳だったのではないか、こんな訳語がどんなふうに出てきたのか、原語を参照してみたい箇所がいくつもあるのだけれど、1か月以上前に注文した原書がついに今日まで届かなかった……。こんな時期だから、仕方ないな。次の機会に。
 

 
 

シドニー・スミス(Sydney Smith)/1980年生まれ。カナダの画家。『おはなをあげる』(ジョナルノ・ローソン/作)によりカナダ総督文学賞、『うみべのまちで』(ジョアン・シュウォーツ/文)によりケイト・グリーナウェイ賞、初めての自作絵本『この まちの どこかに』によりエズラ・ジャック・キーツ賞を受賞。上記3作と本書『ぼくは川のように話す』はすべてニューヨーク・タイムズ最優秀絵本賞を受賞している。
ウェブサイト sydnedraws.ca  / Twitter @Sydneydraws / Instagram @sydneydraws


ジョーダン・スコット(Jordan Scott)/1978年生まれ。カナダの詩人。2018年、これまでの業績に対してThe Latner Writers’ Trust Poetry Prizeを受賞。はじめて絵本のテキストを手がけた『ぼくは川のように話す』により、シドニー・スミスとともに、障害をもつ体験を芸術的な表現としてあらわした児童書を対象に選ばれるシュナイダー・ファミリーブック賞を受賞。
Twitter @jscottwrites  / Instagram @squeezedlight


原田勝(はらだまさる)/1957年生まれ。東京外国語大学卒業。長編の翻訳に『弟の戦争』(ロバート・ウェストール/作 徳間書店)、『ハーレムの闘う本屋 ルイス・ミショーの生涯』(ヴォーンダ・ミショー・ネルソン/著 あすなろ書房)、『ペーパーボーイ』『コピーボーイ』(いずれもヴィンス・ヴォーター/作 岩波書店)、『ヒトラーと暮らした少年』(ジョン・ボイン/著 あすなろ書房)、『夢見る人』(パム・ムニョス・ライアン/作 ピーター・シス/絵 岩波書店)、絵本の翻訳に『夜のあいだに』(テリー・ファン&エリック・ファン/作 ゴブリン書房)、『セント・キルダの子』(ベス・ウォーターズ/文・絵 岩波書店)などがある。
ブログ「翻訳者の部屋から」 / Twitter @haradamasaru6
 


 

広松由希子 ひろまつゆきこ/絵本の文、評論、展示、講座や絵本コンペ審査員などで活躍中。2017年ブラチスラバ世界絵本原画展(BIB)国際審査員長。著作に絵本『おかえりたまご』(アリス館)、「いまむかしえほん」シリーズ(全11冊 岩崎書店)、訳書に『ローラとつくる あなたのせかい』(BL出版)、『ヒキガエルがいく』(岩波書店)、『うるさく、しずかに、ひそひそと』(河出書房新社)など。2020年8月3日より、絵本の読めるおそうざい屋「83gocco(ハチサンゴッコ)」を東京・市ヶ谷にオープン。www.83gocco.tokyo



東京都新宿区市ヶ谷に「えほんとごはん」のお店ができました。団地の一室をリノベーションしたささやかなスペースですが、和洋中さまざま、日替わりのおそうざいと、セレクトされた国内外の絵本をお楽しみいただけます。世界各国の絵本関連展示のほか、子ども向けの文庫、大人向けの絵本イベントなどもぼちぼち開催していきます。 最寄り駅は大江戸線牛込柳町。神楽坂、市ヶ谷、曙橋も徒歩圏内。お散歩がてらお気軽にお立ち寄りください。

えほんとごはん 83gocco
東京都新宿区市谷加賀町2-6-1 市ヶ谷加賀町アパートA-102  営業時間/11時〜19時 定休日/日・月 

 
   
「83gocco(ハチサンゴッコ)」店内 撮影/志田三穂子

 
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